第10回 自由奔放に生き、周りを癒し育てる“ママ” 浅野順子

Words from 山口小夜子

順子さんには二人の息子さんがいて、お二方とも仕事で存じ上げていますが、音楽や演劇での才能はもちろん、人間としても真っ直ぐでとても素敵な方たちです。けれど、そのお二方を育て上げた当の順子さんは、よくある“お母さん”のイメージからは遠い方。今はお孫さんまでいらっしゃるけれど、“おばあちゃん”の立場にいるとは到底、思えません。物事に対する考え方がさばけていて、自分の好きなこと・したいことに向かって真っ直ぐに生き、周りを楽しい気持ちにさせてしまう方なのです。いったいどういう考え方をして、どういう子育てをされたのか、それを前々からぜひ伺いたいと思っていました。

伺ったお話の中で順子さんは「できないのよ私、お母さんらしくしろって言われても無理なのよ」と明るく笑われていました。それは決して開き直りではありません。周りの目を気にせず、自ら決定していく、という強い意志によるものだと思うのです。私たちは日々、周りの目を気にして生きています。こうしなくてはいけない、ああしなくてはいけない、という制約を自らに課しながら生きています。それは社会生活を営む上で必要だったり、その枠に沿って生きれば他人と無駄な軋轢もなく過ごすことができたりするけれど、それで自分を縛りすぎるあまり、大切なものを見失っているのではないかとも思えるのです。

「だってできないんだもん」と、順子さんは自分が100%完璧な“お母さん”でないことを、ごくごく自然に受け止められています。下手に自分を取り繕ったりはしません。他人の眼差しの中で判断したり、“こうあらねば”という尺度に無理して合わせることもなく、素のままの自分を子供たちにも周りの人にも見せています。既成概念に囚われることなく自由なのです。世の中の既成概念から外れることに勇敢で、自分の好きなこと、したいことに向かって真っ直ぐに生きる。そうして不完全な自分を受け止め、自分の生活や周りを楽しくさせ、いっぱいの愛情を注ぎ込む。そんな飾ることなく素のままの自分を、子供たちにも周りの人にも見せる。「わがままなのよ、私」と順子さんはおっしゃいますが、自由であることの責任もきちんと受け止められています。自由とわがままとは違うのです。ほんとうの意味で自由に生きている方です。その順子さんの愛を受けて育ったから、二人の息子さんたちも自由で大らかな青年になっていったのだと、つくづく感じました。100%完璧なお母さんではないかもしれない。だからこそ、めいっぱいの愛で子供たちを抱きしめる。それが素敵な人を育てることに繋がっていると思うのです。

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