- 高木
- この蒙古班革命は、私たち日本人が自分たちの良さやアイデンティティを失ってしまっていてるんじゃないか、それをもう一度見直したい、という意図もあってやってきたわけですが、何か見えてきたものはありますか。
- 山口
- この蒙古斑革命に出ていただいた方々は、みなさん、独自のスタンダードを持っているでしょう。西にも東にも囚われない自由さというか。その自前のスタンダードを持つ人たちをこうして集めて、俯瞰して眺めたときにぼんやり見えてくるもの、あぶり出されてくる何かが、私たちが探している美意識の形、日本の文化ではないかと思うんです。
- 高木
- あぶり出されてくる、というのはいい表現ですね。”蒙古班革命ナイト”のときに、小夜子さんのアイデアで、会場に海外の人たちも交えてゲストの写真を並べたけれど、あれはよかったと思います。やはり自分のスタンダードを持っている人というのは、それなりに「強い」ことがわかったから。大地に立って生きている人たちは、苛酷な自然の中で生きているわけだから、余計なことを考える暇もない。生きるということがむき出しの素のまま、そこにある。都会に生きる人にはなくなってきているその強さを見てもらいたい、とこれまで私は写真を撮ってきましたが、蒙古班革命に出てくれた人たちも、違う強さだけれど、しっかり何かを持っていることが分かって安心したんです。この混沌とした東京にあって、これでいいのか、と迷いながらも前に進み続けているわけでしょう。それが写真を並べてみて、とてもよくわかりました。
- 山口
- 都会はある意味で、いちばん厳しい環境なのかもしれませんね。
- 高木
- 苛酷だと思う。この都会で正気で生きるということは、かなり難しいんですよ。その中でどうにか自分のカラーを持ち続けている人たち、個人的な核をキープして生きている人たちに、この企画で私たちは出会ってきたんだと思う。
- 山口
- 由利子さんはこの2年間、この蒙古班革命の写真を撮りながら、海外に行ってたくさんの人たちを撮って、また日本に戻って写真を撮る、 そういう日々だったでしょう。そのときに何か感じるものはありました?
- 高木
- 旅で出会う人たちは「私はここにいる」という感じがするんです。「私はここにいる」というのは、別に派手なことなんかしなくていいの。ただ、ここにいる、という感じで、存在感と言ったらいいのか。そうして東京に帰ってきて渋谷の交差点で信号待ちをしているときに周りにいる人の顔を見るでしょう。すると「私はここにいない」という感じがして、とても怖い。この現代日本社会にいると「私はここにいる」というシンプルなことがとても難しいのかな、と思いますね。
- 山口
- 最近、自分が何をしたらいいのかわからない、自分が何者かわからない、という人も多くありませんか。この企画に出ていただいた方々は、みなさんしたいことが分かっている人たちだけど。でも、仕事をしていたとしても自分が何に向ったら良いのか、どうしたらいいのか分からない人も多くいると感じるんです。
- 高木
- もちろん多かれ少なかれ、誰しも自分のしたいことや何かを探しているわけだけれど、そこで探す勇気を持つかどうかだと思うんです。外に一歩踏み出す勇気。自分の頭で考えられる範囲で右往左往して、生きる理由や目的を求めてしまうから、動けなくなってしまう。これをやってもしょうがない、これをしてもどうせ無駄だよ、とやる前に思ってしまったり。
- 山口
- それは人としてのほんとうの自信や誇りを持っていないのではないかと思うんです。人としてそれぞれの意味を持って生まれたという自信と誇りの中に、なおかつ人として謙虚である、ということがあるべき姿だと私は思うんだけれど。自信や誇りを履き違えてしまっていて、本来の生きるというあり方を見失っているのではないでしょうか。見失っていることを補うように慢心してしまう。だから心のバランスが崩れてしまうのではないかと感じるんです。ほんとうの自信や誇りを持つことの強さ、そうした人々のカッコよさをこの連載で少しでも感じていただきたかった。 そうして自分に与えられたものや、「こういうものが好き!」という感覚を大切にして、自信と誇りを回復していって欲しいと思います。